「公務員になれ」と言われて育ちました。でも短大卒の私には、狭き門すぎて無理だと思っていました。
それが40代になって、まさかこんなルートで公務員になれるとは。自分でも驚いています。
正規保育士を辞めたあの日
25歳で結婚、26歳で第1子を出産した時、私は正規の保育士でした。でも、実家も義実家も遠方。夫の仕事は残業がほとんどなく、手取りもかなり落ちていた時期。ワンオペ育児の中でとても共働きできる環境ではなく、退職を選びました。
子どもが1歳になったころ、元の職場にパートで復帰しました。時給850円。正規職員と同じ仕事をしながら。
3歳未満児の保育料は高く、「何しに働いているのかわからない」状態でした。でも現状を抜け出せず、節約生活を続けながら毎日をやり過ごしていました。
第2子出産。今度は3年間、家庭保育を選んだ
30歳で第2子を出産した時は、スパッと退職しました。第1子の時にはあわただしくてできなかった育児を、今度はゆっくり楽しもうと決めていたんです。
3年間の家庭保育。下の子が年少で保育園に入ったタイミングで、またハローワークで仕事を探しました。
そこで見つけたのが、市の臨時職員のパート。時給750円。当時のほぼ最低賃金です。
でも半日勤務で融通がきき、楽しく働けていました。「給与は低いけど、この働き方は悪くない」と思っていた時期です。
「来年度の更新はありません」
臨時職員には、必ず終わりが来ます。
更新がないと告げられた時、次の仕事として選んだのは公立保育所の常勤保育士(非正規)でした。保育士の資格があったので、すぐに働き口は見つかりました。
子どもたちも中学生・小学生になっていたので、フルタイムに戻ることにしました。でも久しぶりのフルタイム勤務はやはり忙しかった。クラス担任も持ちました。
仕事の内容は正規職員とほぼ同じ。でも給与も有給も圧倒的に違う。その現実を目の当たりにして、ずっとくすぶっていた気持ちが再び湧いてきました。
「正規の公務員になりたい。」
市の広報で見つけた、一行の求人
ある日、市の広報に目が止まりました。市立病院の看護助手を募集していたんです。
「これに受かれば、正規の公務員になれるのかな。」
正直、仕事内容よりも「安定した公務員」という言葉に引き寄せられていました。就職氷河期世代で、子どもの頃から「公務員になれ」と言われて育ってきた私にとって、公務員はずっと憧れの存在でした。でも短大卒の自分には、一般の行政職は狭き門すぎると諦めていた。
だからこそ、この求人は「もしかしたら」と思わせてくれるものでした。
未経験でも、伝えられるものがあった
看護助手は全くの未経験。病院での仕事も初めてです。
でも面接と作文の試験では、保育士として長年「人と関わる仕事」をしてきたこと、その中で大事にしてきたことを、素直に伝えました。子どもたちに向き合ってきた経験、保護者との信頼関係を築いてきたこと。
合格の通知が届いた時、「こういうルートでも公務員になれるんだ」という驚きと同時に、認められたような気持ちになりました。
技能労務職(現業職)としての採用なので、一般の行政職とは違います。でもそれでも十分でした。長年「非正規」と「正規」の違いを見せられてきた私にとって、正規の職員になれたことは本当に嬉しかった。
子どもたちがこれから高校・大学に進む。お金がいる時期に、しっかりとした基盤を作れた。その安心感は大きかったです。
ちょうどこの頃、投資も始めていた
公務員になった頃は、ちょうど投資を始めて1年目の時期でした。
積立NISAがスタートしたころ、少し遅れて積立を始めました。SBI証券で積立NISA、楽天証券でiDeCo(月5,000円)。給与は上がったわけではないけれど、「安定した収入が続く」という見通しが持てたことで、投資を続ける気持ちも固まっていきました。
正規の職員になって初めて、先のことを考えられるようになった気がします。
最初の数ヶ月は本当にしんどかったし、辞めることを何度も考えました。病院という現場の厳しさや人間関係については、またいつか書こうと思います。
それでも今こうして振り返ると、あの一行の求人に目が止まってよかった。諦めていたことが、思わぬルートで叶うこともある。そう感じています。

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